ドラマ『鎌倉殿の13人』第22話のネタバレと感想!義時の生きざまは!?

奥州平定のよく年の建久元年(1190年)11月、源頼朝(大泉洋)はついに上洛を果たします。

平治元年(1159年)に平治の乱で捕えられ、よく年の永歴元年(1160年)伊豆へ流されてから、実に30年近い年月が流れていました。

頼朝としては、感無量であったことは間違いありません。

その後の、頼朝周辺はどうなって行ったのでしょうか?

さっそく振り返ってみましょう!



ドラマ『鎌倉殿の13人』第22話のネタバレと感想!

頼朝は、後白河法皇(西田敏行)の居所である六畳西洞院御所(ろくじょうにしのとういんごしょ)の再建を請け負うなど、京の意向をうかがうような行動に出ます。

そして、奥州征伐の温床を辞退したり、相模と伊豆以外の知行国の返還を申し出たりもしています。

※ 知行国とは…11世紀末から12世紀に初めにかけて政治権力を背景として、有力貴族らが縁者や係累を特定の国の受領に任命することが徐々に慣例化していた。現地へ赴任した受領の俸料・得分を自らの経済的収益としていた。

頼朝は、後白河法皇の唯一の官軍となるべく、巧妙な政治手腕で朝廷と渡り合っていたのでした。

同年10月3日に鎌倉を出た頼朝は、25日に尾張国 野間で義朝(頼朝の父)の墓所に参り、27日には母の由良御前のゆかりの熱田神宮にそれぞれ参詣を済ませます。

そして、11月7日に大軍を率いて京に入りました。

その2日後の11月9日に、陰の黒幕・実力者の後白河法皇と対面を果たすことになったのです。

↓鎌倉時代の黒幕中の黒幕 後白河法皇

後白河法皇は、頼朝と面会後 ほどなくして病に倒れます。

頼朝は後白河法皇の死を待っていたかのように、征夷大将軍になったのでした。

上洛について御家人の意向は…

北条義時(小栗旬)は、頼朝にしたがって上洛をするのですが、上洛について自身はなんの利得もない三浦義澄(佐藤B作)、岡崎義実(たかお鷹)、千葉常胤(岡本信人)らは、頼朝に対して不満を募らせていました。

そして、鎌倉幕府でのちのちに実力をつけて発言権を得る比企一族の動きも見逃せませんでした。

比企能員(佐藤二朗)は、比企家の地位を固めるため比奈(堀田真由)を、頼朝の側室として嫁がせることを考えます。

↓義時は、かなり苦しい時代を強いられていた

しかし、頼朝は義時に嫁がせようとしますが、義時は固辞しました。

北条義時は、八重の残した身なし児たちの面倒を見て、気を紛らわせる生活を送っていたのでした。

曽我兄弟が現れる

曽我十郎、五郎の兄弟は兄弟の父である河津祐泰が伊豆の国奥野で工藤祐経に討たれたことについて仇討ちをすることを画策します。

しかし、曽我兄弟は混乱に乗じて頼朝も討とうとしていたのでした。

そして、義時の父の北条時政が曽我兄弟の烏帽子親だったのです。

↓坂東彌十郎さんが、結構いい役ですね!

※ 烏帽子親とは…武家社会で、元服する者に烏帽子をかぶらせ成人名を与える役の(勢力)者。

ドラマ『鎌倉殿の13人』第22話のネタバレと感想まとめ

妻である八重を失い、行き先を苦難する北条義時。

しかし、政情が不安定であり、様々な苦難が義時を襲います。

その不安定な状態の中で、義時は安定性を保つべく尽力するのでした。

義時の苦しみに共感する人も多いのではないでしょうか?